福留志なさんと娘の美奈子ちゃん

白黒写真を着色したもの(水田洋平さん作成)

いつ撮られた写真かはわかりませんが、志なさんが幸せだったころの家族写真の1枚でしょうか。真ん中の少女が美奈子ちゃん、左側の少年が長男の経昭君、美奈子ちゃんの隣が弟の経怜君です。

そして1942(昭和17)年、志なさんは経昭君と美奈子ちゃんをご主人の兄・福留経俊先生にあずけ、経怜君を連れてご主人の赴任先の上海に向かいました。見知らぬ土地へ行くことの不安と、子どもたちがすっかり長崎の生活になじんでいることから決断したものでした。経昭君が7歳、美奈子ちゃんが6歳の春でした。

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志なさんと別れて暮らすようになって3年が経ちました。二人はおじさん夫婦にかわいがられ、元気に城山小学校に通っていました。
しかし、1945(昭和20)年8月9日午前 11時に長崎に原子爆弾が落とされ、幸せな生活が終わりを告げました。
爆心地から1キロの竹の久保町にあった家は倒壊し、二階で本を読んでいた美奈子ちゃんは、崩れてきた針の下敷きになって大けがをしました。
おばさんの津江さんと経昭君の二人は奇跡的に無事でした。二人は美奈子ちゃんを抱えて滑石の知人宅に避難しました。
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美奈子ちゃんの傷はあまりにもひどく、
手のほどこしようがありませんでした。そして、8月18日とうとう美奈子ちゃんは息を引き取りました。この日は美奈子ちゃんの10歳の誕生日でした。