「第3回平和を紡ぐつどい」(報告)

2022年7月16日、あやべ市民センターで約60名(ZOOM参加者を含む)の参加で行われました。まず最初に「おばあちゃんの人形」の紙芝居(YouTube)を上映しました。これは花垣さんのお話を聞いた佛教大学黒岩ゼミの学生たちが作成したものです。その後、花垣さんにお話をしていただきました。

 当時5歳で被爆体験した『あの日』のことを語ります。母が妊娠中だったので、銀行員の父は一人で台湾支店に赴任しました。
 私と母は空襲や二人だけの生活が不安で広島に避難・疎開することになりました。
 広島は、母の実家ではなく叔母の家で過ごしました。
 原子爆弾が落とされたあの日は、空襲警報で一度は防空壕に避難しましたが、解除になったため家に帰り2階で人形遊びをしているときに被爆しました。避難するときには、『水 ミヅ』『タスケテ』等の声は聞いていません。
 竹やぶに避難をしましたが、竹が『パカーンパカーン』と音を立てて破裂して危険なので、さらに別の場所へ避難しました。
 道中には、手足のないヒト・黒焦げになったヒト・水風船のように膨れ上がったヒトなど多くの被災者を見ながら避難をしました。
 壊れた水道のまわりには『水を』『水を』と求めていたヒトの塊ができていて一滴でも飲めたかな? と思うととても辛くなります。広島の平和公園の下には77年前のあの日以降に拾いきれなかった『お骨』が盛り土の1メートルほど下にあることを知ってほしいです。

【お話の後の交流会の発言より】
 花垣さんの言葉が心に突き刺さりました。
 若い私たちに何ができるのか、今お聞きしたお話をどう伝えていくのか考えなければと思いました。
  ウクライナ支援の輪が広がっていますが、募金したお金が自分が思っていることにきちんと使われるのか不安です。花垣さんより、「これはとても大切なことです。何に使われるのかきちんと把握することが重要です。」

【参加者の感想より】
 被爆から77年をむかえようとしているなかでも『老人は過去を語り若者は未来を語る』をモットーに活動をされている花垣さんの講演はとても素晴らしかったです。
 話を聞かせていただいた「責任」として、一回でも一人にでも語り継いでいきたいです。
 改めて福留志なさんの「戦争はあかん。平和がいちばん。」という言葉をかみしめました。ウクライナとロシアの戦争もそうですが、この一言に集約されると思います。